札幌地方裁判所 平成3年(わ)338号 判決 1991年11月25日
主文
被告人を懲役一年二か月に処する。
この裁判確定の日から三年間刑の執行を猶予する。
理由
(認定事実)
被告人は、平成三年四月二六日午前四時三〇分ころ、札幌市中央区<番地略>所在ハートピア77共同出入口前において、Kが左手に持っていた同人所有の現金約一万七四九四円、国民健康保険証一通、キャッシュカード二枚、テレホンカード一枚(時価五〇〇円相当)及び診察券二枚在中の財布一個(時価一万五〇〇〇円相当)を取り上げて盗んだ。
(証拠)
注・挙示した証拠に付した番号(例「甲五」)は検察官証拠等関係カードの請求番号(甲五号証)を示す。
一 証人K、Tの公判供述
一 Tの検察官調書(不同意部分を除く。甲五)
一 被害届(甲二)
一 捜査報告書(甲三・三〇)
一 実況見分調書(甲四)
一 鑑定書(甲三一)
一 グリーン色ジャケット一着(平成三年押第一七〇号の四。甲三八)
(争点に対する判断)
被告人は、本件公訴事実を全面的に否認し、弁護士は、(一)本件ジャケット(甲三八)、紙幣に関する現場指紋等送付書(甲三七)及び鑑定書(甲三一)を違法収集証拠として排除すべきである、(二)右各証拠が排除された場合はもとより、仮に右各証拠が排除されなくても、被告人を本件の犯人と認定するには合理的な疑いが残るから、被告人は無罪である、(三)仮にそうでないとしても、被告人は本件犯行当時、アルコールの影響により心神喪失又は心神耗弱の状態にあった旨主張するので、以下判断を示す。
一 違法収集証拠の主張について
1 前掲各証拠、証人M、O、Sの公判供述、「捜査関係事項照会書に対する回答」と題する書面(甲三九)及び捜査報告書(甲四二)によれば、次のような事実が認められる。すなわち、
(1) Kは、平成三年四月二六日(以下、時刻の記載は全て同日)午前四時三〇分ころ、札幌市中央区<番地略>所在ハートピア77共同出入口前において、外国人男性に後ろから抱きつかれたりしたのち、左手に持っていた財布を取られたこと、犯人はその場から走って逃げ、Kはその後を「ドロボー」と叫びながら追いかけたところ、折から通行中のTがKの声を聞いて犯人を追いかけたものの、T自身同区<番地略>やまぐちパーキング付近で犯人を見失ったこと
(2) その後Kは、午前四時四六分ころ、薄野警察官派出所(以下「薄野交番」という。)に出向いて財布を盗まれた旨被害の届出を行い、犯人は白人系の外国人男性で、身長は一八〇センチメートル位、緑色のジャンパーを着て青色のジーパンをはいていた旨申告したこと、薄野交番勤務のM巡査及びH巡査は、右申告のあった犯人の特徴をメモしたうえ、午前五時二〇分ころ、出店荒らしを捜査するため検索に出たが、午前五時三五分ころ、同区<番地略>南興ビル付近において、道路向かいの歩道上を小走りで北へ向かっていた被告人を発見し、その服装がKから申告のあった犯人の服装と似ていたことから、M巡査携帯の無線機で薄野交番と連絡をとり犯人の様子について再確認したうえ、被告人に職務質問をするためその後を追いかけ、午前五時三七分ころ、同区<番地略>信ビル付近で被告人を呼び止め、同所において職務質問を開始したこと、その際、M巡査は、被告人に対し、英語で、自分たちが警察官であると伝えるとともに、薄野交番へ一緒に来て欲しい旨告げたところ、被告人はこれを承諾し、午前五時四〇分ころ同交番に到着したこと
(3) 薄野交番到着後、M巡査は、被告人を同行して三階の派出所長室兼応接室(以下、単に「応接室」という。)に入り、同室において所持品検査を実施すべく、応接セットの長椅子に座った被告人に対し、身振りなどで所持品の提示を求めたところ、被告人はこれに応じ、運転免許証、外国人登録証などのほか、ズボンの後ろポケットから財布を出して机の上に置いたこと、更に、M巡査は、被告人がまだ何か所持しているかもしれないと考え、被告人の了解を得て着衣の上から被告人の体を触ったところ、シャツの胸のポケットにガサガサする物が入っているのを確認したため、被告人に対し、英語でポケットの中に入っている物を見せて欲しい旨告げたこと、すると被告人は、自ら胸ポケットから四つ折りになった千円札約一〇枚を取り出して机の上に置いたこと、そのころ、M巡査は、右財布に入っていた五千円札一枚、「ちびまる子」の絵が印刷されたテレホンカード一枚を含むテレホンカード一〇数枚、硬貨、メモ紙などを確認しているが、その際右金品を財布から取り出すことについて被告人の承諾を得たとは認められないこと、なお、被告人は、応接室において、当初はジャケットを着用していたが、しばらくしてこれを脱ぎ、その後傍らに置いていたこと
(4) 他方 Kは、薄野交番に被害の届出を行った後、I係長、A巡査とともに被害場所における実況見聞に赴き、被告人が薄野交番に到着する前に再び同交番に戻り、同交番二階において、被告人に対する所持品検査と並行するかたちで、I係長から被害金品や被害状況について事情聴取を受けたこと、またその間、Kは、財布一個のほか、現金一万七四九四円位、国民健康保険証一通、キャッシュカード二枚、「ちびまる子」の絵のテレホンカード一枚、診察券二枚などと記載した被害届を提出したほか、同交番三階にいる被告人を見て、O巡査長らに対し、被告人が犯人と似ている旨、被害時にキスされたりしたため抵抗しているので、被告人の着ているジャケットに付いている化粧品は自分のものだと思う旨述べたこと
(5) O巡査長は、被告人の着ているジャケットに化粧品が付いているとのKの供述を受けて、被告人のジャケットを確認したところ、化粧品が付いているのを認め、被告人に対し、大声で「これ、これ、これ、これよ」と追及したこと
(6) その直後、被告人は立ち上がり、「ギブ ミー ア ロイヤー」と大声で何回も叫んだこと、その場にいた警察官らは、当初その言葉の意味が分からなかったが、間もなく「弁護士を呼べ」という意味だと分かったものの、その手続をとることなく、ひとまず被告人を落ち着かせ、氏名や年令などを確認し、札幌方面中央警察署(以下「中央署」という。)において通訳人を介して更に事情聴取を行うため、被告人の同意を得たうえ、M巡査らが、被告人を伴って警察車両で中央署に向かい、午前六時三〇分ころ同署に到着したこと
(7) 一方、O巡査長は、被告人の承諾を得ることなく、ジャケットをビニール袋に、紙幣、硬貨、テレホンカードなどを紙袋にそれぞれ入れ、これらを被告人の乗った車両とは別の車両で中央署まで運び、被告人がいる取調室に持ち込んだこと
(8) 被告人は、午前六時五〇分ころから中央署の取調室において、O巡査部長の取調べを受けたが、その際、S巡査が通訳人として立ち会ったこと、被告人は、しきりに弁護士を呼ぶように要求し、弁護士を呼ばなければ何もしゃべらない旨述べるなど取調べに非協力的であり、事件の話になると非常に興奮し、O巡査部長が書こうとした調書を破いたりしたこと、S巡査は、被告人の弁護士依頼に対し、後から連絡する旨被告人に告げたこと、その後、O巡査部長は、O巡査長が持ち込んだ被告人の所持品のうち、ジャケット、紙幣及び「ちびまる子」の絵が印刷されたテレホンカードについて、被告人から任意提出を受けるべく、その旨の手続を英語で行うようS巡査に指示し、同巡査は、午前九時一五分ころから約三〇分間にわたり、被告人に対し、「ジャケットなどをこの事件の証拠品として調べさせて欲しい。ジャケットには被害者の化粧品が付いているはずだ。もし被害者の紙幣を持っているのであればその紙幣には被害者の指紋が付いているはずだ。必要がなくなったら返還する」などと告げる意図で、英語で説明し、その後五千円札一枚千円札一〇枚に関する任意提出書、ジャケット一着に関する任意提出書、「ちびまる子」の絵が印刷されたテレホンカード一枚に関する任意提出書が作成されるに至ったこと
(9) 被告人は、午後零時一五分、中央署において通常逮捕されたこと
以上の事実が認められる。
2 なお、被告人は、以上のような一連の状況に関し、当公判廷において、「自分がM巡査らと薄野交番に行くとたくさんの私服の警察官がおり、その中にはS巡査もいた。三階の応接間のような部屋に連れて行かれそこでしばらく待っていた。その後たくさんの警察官が部屋に入ってきて、立つように言われ、S巡査から英語で所持品を見せて欲しいと言われた。自分がズボンの後ろポケットから持っていた財布を出して机の上に置くと、許可もしないのにI係長が勝手に財布の中身を机の上に出した。そこで、自分は非常に怒って、何が起こっているのかと聞いた。更に、警察官のひとりが自分に無断でシャツの胸ポケットから紙幣を取り出した。その後、同じ階の別な小部屋に連れて行かれた。その部屋では、I係長が自分の正面に座り、通訳役のS巡査がいたほか、たくさんの警察官が周りに立っていた。I係長が書面に日本語で文章を書き始めたので、自分がその書面を取り上げてグシャグシャにして捨てた。弁護士を呼ぶように要求したが、S巡査から権利がないと言われた。S巡査から書面三枚を渡され、その書面に住所、氏名などを書くように指示されたため自分で書いた。その書面に品名を書けばこれらの品物がすぐに戻ってくると思った。その後、手錠をかけられて中央署に連れて行かれ、弁護人と接見するまで、取調べもないまま留置場で寝ていた」などと供述している。
しかし、被告人から事情聴取をした場所などに関するM、O、Sの各証言に特段不自然な点は認められない。そして、前掲関係証拠によれば、薄野交番三階には、応接室のほかに被告人が述べるように小部屋は存在しないこと、被告人は、午後零時一五分に通常逮捕され、中央署の留置場には午後零時四〇分に入場していること、右入場後被告人は取調べなどでその日三回留置場から出場していること、S巡査は、自宅で休んでいた際、O巡査長から電話で、日本語がしゃべれない外国人被疑者がいるので通訳をして欲しい旨の依頼を受け、乗用車で中央署に出勤していることが認められ、この認定を左右するに足る証拠はない。これらの事実に照らすと、任意提出書三通の作成までの手続は全て薄野交番で行われたとする被告人の右供述は信用することができない。また、Yは、午前七時二五分ころ被告人から電話を受け、電話口の状況から被告人は薄野交番から電話しているように思われた旨証言するが、その場所が薄野交番であるとする根拠に乏しいうえ、却って、被告人に替わり電話口に出たS巡査が、Yに対し中央署の電話番号を教えていることに照らすと、被告人が電話をかけた場所は中央署と認められ、Yの右証言は信用性が低い。
3 そこで、以上のような経過に即して、警察官のとった捜査手続の適否について検討する。まず、M巡査が財布の中身を取り出した点は、被告人の承諾を得たとは認められず、被告人が同巡査の求めに応じて、運転免許証、外国人登録証などのほか、ズボンの後ろポケットから財布を出し、更にシャツの胸ポケットから千円札一〇数枚を取り出して、これらの所持品を自ら机の上に置いたとしても、このことをもって財布の中身を勝手に取り出すことまで許したとは認められない。次に、O巡査長が本件ジャケットや紙幣などを袋に入れ中央署まで運んだ点は、被告人の承諾なしになされたものであり、被告人が本件ジャケットを脱いで傍らに置いたからといって、ジャケットの保管方を警察に委ねたとはいえないのはもちろん、被告人が中央署への同行について承諾していても、被告人が弁護士依頼を強く求めていた状況を考えれば、これら所持品を警察が保管することを許容したとは認められない。もっとも、被告人のこれら所持品については、直ちに被告人のいる取調室に持ち込まれ、その後、被告人に対し任意提出を求めるべく手続が行われているから、被告人が最終的にこれら所持品の提出を承諾すれば、全体として任意提出がなされたものと評価することができると解せられるところ、Sの証言などに照らせば、被告人が、本件ジャケットなどの任意提出に応じたとも考えられないではない。しかしながら、被告人は、任意提出の手続の直前においては、しきりに弁護士を呼ぶように要求し、弁護士を呼ばなければ何もしゃべらない旨述べるなど取調べに非協力的であり、事件の話になると非常に興奮し、取調官が書こうとした調書を破るなどしていること、Sの証言によっても、被告人が任意提出を求める同巡査の英語を理解できたとするには疑問が残ることなどに照らすと、被告人が、任意提出に関する手続の意味を理解し、その所持品を警察官に任意に提出したことは認めることができず、警察官において被告人の所持品を保管した行為は、任意捜査としての許容限度を逸脱した違法な所持品検査に基づくものといわざるを得ない。したがって、紙幣の指紋に関する手続も、違法な手続によりもたらされた状態を直接利用して、これに引き続いて行われたものであるから、違法である。
4 所持品検査及びそれに引き続く手続が違法であると認められる場合であっても、違法手続によって得られた証拠の証拠能力が直ちに否定されると解すべきではなく、その違法の程度が令状主義の精神を没却するような重大なものであり、証拠として許容することが、将来における違法な捜査の抑制の見地から相当でないと認められるときに、その証拠能力が否定されるというべきである。
これを本件についてみると、職務質問の要件が存在したこと、薄野交番や中央署における所持品検査に際しては、被告人に対し何らの強制も加えられていないこと、Kによる被告人の確認や、本件ジャケットに化粧品の付着が認められた段階で、被告人に対する本件犯行の嫌疑が極めて濃厚になったといえること、所持品検査の必要性ないし緊急性が認められたこと、被告人に対する嫌疑が濃厚になった段階において、検察官は、更に、日本語に通じない被告人に対し、通訳人の警察官を介して英語で、事件について事情聴取を行うとともに、有力な証拠物件である本件ジャケットなどの所持品の任意提出を受けるため、被告人を中央署へ任意同行し、これら所持品も同署に運んで被告人のいる取調室に持ち込んだこと、通訳にあたった警察官は、被告人からその所持品の任意提出を受けるべく、不十分な点があったとはいえ、英語による説明を行い、手続の履践をはかるため手を尽くしたこと、警察官において令状主義に関する諸規定を潜脱しようとする意図があったとはいえないこと、警察官らは、取調べに非協力的であった被告人に対し、薄野交番や中央署に留まることを強要するような言動はしていないことなどの事情が認められる。これらの点に徴すると、本件所持品検査及びそれに引き続く手続の違法は、いまだ重要であるとはいえず、右手続により得られた本件ジャケット、紙幣に関する鑑定書を被告人の罪証に供することが、違法捜査抑止の見地から相当でないとは認められないから、右各証拠の証拠能力を肯定することができる(なお、紙幣に関する現場指紋等送付書は手続上の事実の立証資料として採用したに過ぎない。)。
したがって、弁護人の違法収集証拠との主張は採用できない。
二 犯人と被告人の同一性について
1 前掲各証拠によれば、前記一1の(1)、(2)の各事実が認められるほか、(1)M巡査らから職務質問を受けた時点における被告人の服装は、縦縞のシャツの上に緑色のジャケットを着用し、青色のジーンズをはいていたこと、(2)被告人が所持していた千円札一枚から被害者Kの指紋が検出されたことが認められる。
弁護人は、Kの指紋が検出された千円札について、被告人が所持していた紙幣であると断定できない旨主張するが、証拠上この点につき疑問を抱く余地はない。
2 以上の事実を総合すれば、被告人が本件窃盗の犯人であることが十分推認される。このことに加え、本件被害者のKが、被告人を犯人に間違いない旨証言し、犯人を追跡したTも、犯人の着衣につきKと同様に述べ、被告人の顔が犯人と似ている旨証言していることを合わせ考慮すれば、被告人が本件窃盗の犯人であることは明らかというべきである。
三 責任能力について
本件被害者のKの証言から認められる犯行時における被告人の言動、犯行状況やその態様、K、Tの各証言から認められる被告人の逃走状況などに照らすと、被告人が本件犯行当時心神喪失ないし心神耗弱の状態になかったことは明らかである。
(適用法条)
罰条 刑法二三五条
主刑 懲役一年二か月
刑の執行猶予 刑法二五条一項
(三年間猶予)
訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項但書(不負担)
(裁判長裁判官佐藤學 裁判官河合健司 裁判官栗原正史)